シェルビーのコブラエンブレム誕生秘話

アメ車好きにとって、シェルビー・コブラのロゴは伝説的なアメ車の革新性とその卓越したパフォーマンスを象徴している。

レースのチャンピオンから製造者まで駆け上がったエピソードから、コブラという言葉が夢の中でどのように出てきたかということまで、キャロル・シェルビーその人にまつわるエピソードは多く記録されている。しかしコブラのデザインがどのように進化してきたかはあまり知られていない。

シェルビーは英国のACカーズの工場から初めて出荷された車のACバッジを外し、AC、シェルビー、コブラの三つ巴のロゴを刻んだ無垢のアルミのバッジに付け替えた。

オリジナルのACロゴ

CSX 2000は、初代シェルビー・コブラとして知られている。ACエースのボディとシャーシを使用し、キャロル・シェルビーが2012年に亡くなるまで所有していた1962年式のマシンには、初期のAC、シェルビー、コブラのロゴがトランクに付いていた。

シェルビーの初の有給従業員となったピート・ブロックは、1963年までにはシェルビー・アメリカンの企業イメージ戦略に深く関わっていた。その信念は、コブラと分かる蛇のマークの丸いバッジをデザインするという単純なものだった。そのバッジはオリジナルのACバッジと同じ穴にはまるサイズにする必要があった。

リンゼイ・ミルズは、キャロル・シェルビーの公式の伝記のなかで、ブロックのおかげでシェルビーがマーケティングの失敗を免れることができたという、シェルビーのワークショップの現場についての興味深い洞察を提示している。

ピート・ブロックは回想する「まったく信じがたい話だよ。オフィスに届いた荷物の中身を見て、それをキャロルのオフィスまで持っていった。『こいつは一体何だ?』とね。キャロルは言った『ピート、お前ってやつは! 何でもいちいちケチをつけないと気がすまないのか!』そして、不満をぶちまけ始めた。だから言ってやった『キャロル、お前のためを思って言ってるんだ。こういうことはお前には無理だ。私がやる』。激しい口論の末、キャロルはとうとう言った『分かった。いまいましいロゴをデザインし直せ。だが、蛇、それもコブラのマークにしろよ』。そこで私は蛇のマークをデザインし直し、文字の形と内容、色など、あらゆることを決めた。それからCSエンブレムのデザインに移った」

ピート・ブロックによる蛇のデザイン

1963シェルビー289で初めて採用されたコブラのエンブレムは、その後もボンネットやハンドルなどすべてのコブラのモデルで使用され続けた。

シェルビー・マスタングが1965年1月27日にデビューすると、前を向いたコブラがあしらわれた青と赤の同じデザインにGT350の名前を入れてシェルビー独自のブランドロゴとして使われるようになった。

その間、シェルビー・アメリカンのチーフエンジニア、フレッド・グッデルは有能な北朝鮮のデザイナー、ジョン・チュンに、今後のシェルビーGT350のコンセプトを練るサポートを依頼した。チュンはこれまでのコブラのエンブレムは迫力に欠けていると考えた。百科事典を読み漁り、それ以上に何度もデザイン画を書き直し、ついに、今日よく知られている毒牙をむき出しとぐろを巻いたコブラのエンブレムを完成させた。

1967スーパー・スネークの1/8スケールのレプリカでは、とぐろを巻いたコブラのエンブレムがオリジナルに忠実に再現され、ハンドル、ホイールキャップ、フロントグリル、トランク、燃料タンクキャップ、そしてロッカーパネルのストライプのロゴの上にあしらわれている。

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